三田藩と九鬼一族の、
歴史を探索したが、
現在も、その九鬼一族の活躍は続き、
九鬼隆平氏は、
九鬼一族が、子孫である。
と、知った瞬間、
一気に応援する気になった。
まあ、私は幼き日には、
南海ホークス子供会だったので・・・
その三田藩士の祖父を持ち、
大富豪だった父を持つ、
いや、その父である。
白洲文平だが、
名前の読みが「ふみひら」とあるが、
どうも「ぶんぺい」だった可能性が高いと、
え、そんな事も解らないのか?
歴史は不思議だ・・・
しかし、この方の建てたお屋敷、
白洲屋敷だが、敷地面積、
4万坪・・・
4万?4万坪って何だ?
絵画を所有する。美術館、牡丹園があったと、
それが、現在の伊丹市、
伊丹市と言えば、
そう、スノーブロンシュ、
白雪の小西酒造さん、
川本幸民の幕末のビールを、
再現した事は、書いたたが、
そのコニシビールの小西酒造さんと、
文平氏がリンクする事がある。
現在の伊丹市立伊丹高等学校の前身である、
女学校設立の際、
寄付金が小西酒造さんから、当時の金額で2万円、
それに続く二番目の金額、
当時の金額で一万円を出したのが、
白洲文平氏である。
大正10年の話で、
その翌年、私の父が生まれるのだが、
大正4年で、一万円を、
現在の価値に換算すると、
3000万円・・・
ポンと出したのか?
出したといているので、
出したのだろう・・・
恐るべし、白洲文平、
その次男である。
戦後の日本の重要人物、
白洲次郎、
書き出せば長くなるので、
省略するが、その境遇で育ったら、
そりゃ、マッカーサー如きとなるのは、
明白・・・
私もバブル期後半、北新地に居たが、
その時、白洲文平が寄付した金額ぐらいを、
一晩で飲む、しかも何日も続けて、
そういう人を見てきた。
故に、金銭の感覚にかなりのズレが生じた。
事は確かだが、
それが、幸せか、不幸せか、
それは解らないが、
自分が歩んで来た道のりである事は、
消去出来ないし、
私は、私で、
ただの中高年バーテンダーである。
ブラックボトルであるが、
アイラ島の7つの蒸溜所の、
言うのが代名詞なのだが、
時代の流れと共に変革し、
現在は、ブラックボトル スタンダード、
と、なっている、
私は売り手である。
バーテンダーに過ぎない、
あーだ、こーだと、
評論するのは、愛好家達、飲み手の
楽しみで、私のすることでは無い、
こう言うウイスキーがあると、
導きはするが、後は委ねよう、
あくまで、澪標であり、
ロイター板である。
そして、もう一品、
マッカランから、
セレクトオーク、
これを白洲次郎さんが飲んだら、
こういうかも、
ステアリングが甘いと・・・・
店先で物損事故があり、店は休業してますが、夜は中に居てますので、覗いて下さい!