第二次木津川口の戦いで、
鉄を貼り付けた装甲船を建造した。
九鬼嘉隆、大筒、大鉄砲を装備し、
縦22メートル、横12メートル、
その数、まさかの六隻、
第二次世界大戦時に、
戦艦大和を六隻建造したようなものだ。
恐るべし九鬼一族、特殊技術集団だった事に間違いない、
その船が、堺港に入った時、
当時、堺にいた南蛮人が、
驚愕したと言う事を、
覚えていて欲しい、
が、色々とあり、
中略・・・
平穏の時代には、
三田藩を治める事に、
三田藩?
と、思いの方も多いだろうが、
平穏の時代が終わりを告げ、
またもや、混乱の幕末、
その幕末に、三田藩は、
凄い人物を輩出している。
以前も書いた事があるが、
幕末の天才が一人、川本幸民、その人である。
白砂糖、マッチを発明、銀板写真を試作、
日本で初めてビールを造った男でもある。
それは、大阪は伊丹の小西酒造さんから復刻版が出ていた。
日本の科学の祖とも言われる。
川本公民だが、
その才能は、幕末の薩摩藩でも、
大活躍する。
「西郷どん」では、橋本左内が
登場したが、
その橋本左内は公民の弟子でもある。
その時、外国から押し寄せる。
外輪型の蒸気船、
それを、陸地から見ただけで、
一年後に、まさかの同じ物を造る。
それを指揮したのが、
そう、公民である。
列強国からすれば、
流石に恐い・・・同じ物を短期間で作り上げた。
そりゃ、まあ、驚くだろう、完全に尻込みする。
堺港で南蛮人を驚愕させた。
九鬼嘉隆の装甲船と同じである。
その事により、
日本は他のアジアの国とは違うと、
植民地化を諦め、
通商による開国を迫ることになった。
ざまあみろ!
目に見える者を、
小説に取り上げられる有名な方々を、
尊敬、敬愛するのは自由だが、
幕末時に、近畿勢、
天才、川本幸民が居た。その公民の書いた。
遠西奇器述は、諸藩の国防の参考になり、
救国の書の一冊となった。
間違いなく、
幕末の天才で、
日本を救った幕末の偉人の一人なのだ。
どうだ! あなたには響かないか・・・
しかし、九鬼一族の、
三田藩、それだけでは、
終わらないのだ・・・
つづく・・・
川本幸民 ↓