毎日、毎日、
店の前を掃除するのは、
飲食店として、当たり前の事だが、
先人を敬う意味が強い、
吸い殻だらけの道路、
この地、この町はゴミ捨て場か・・・
が、実は1576年、
第一次木津川口の戦いの激戦地、
この頃、まだわが町大正区は無く、
小さな島が点在していただけで、
この後、以前も書いたが、
中村勘助氏により、埋め立てられ、
大正区の前身が出来る。
その第一次木津川口の戦いの、
まさかの無茶ブリ、焙烙玉に負けない、凄い船を作れと、
しかし、九鬼嘉隆はそれに応え、まさかの装甲船を造る。
その数、僅か二年で、なんと六隻、これ、本当なのだろうか・・・
縦22メートル、横12メートルの、
当時としては空前絶後の大きさ、
私も以前、何隻か船を持っていたが、
僅か数メートルの船を、現在の電気工具を駆使して、
毎日、毎日、メンテをして、
綺麗にするだけで、一年以上掛かった。
信じれないが、ここで、九鬼嘉隆が、
装甲船を造った事を、
覚えていて欲しい、
その装甲船は大筒、大鉄砲を装備、
鉄を貼り付けた船体は、焙烙玉を弾き返す。
まさに大戦艦、
大阪湾に向かう途中、和歌山を通る時、
雑賀衆が小舟で接近、
それを引きつけるだけ引きつけ、
大筒で一掃、まさに宇宙戦艦ヤマトの、
波動砲・・・
大阪湾に入ると、
僅か半日で、毛利水軍を撤退させた。
第二次木津川口の戦い、
九鬼水軍の圧勝、それの激戦地が、
私が毎日、毎日、戦っている当店、
この地であることを、
ご存知だろうか?
それが、この有様、
もう、道路では無く、ただの灰皿・・・
一体、ここを何処だと思っているのだ・・・
三軒の家があったからは、
もう良い・・・
そして、役所は、
記念碑をこの地に建てれば良いのに、
まあ、そんな事を知っている。
役人等は居らず、役人とて、転勤のある勤め人、
大正区を愛するか?
利用するか?
ただただ、
それだけの問題である。
知らなければ、知れば良い、
ただただ、
それだけの話しである。
が、まだまだ
つづく・・・