故「松下幸之助」氏の、
生涯が書かれた記述を読んでいたら、
流石に大阪の実業家だけあって、
良く知る地名が出て来る。
中でも、店の近くの「幸町」や、
ドームの反対側にある。
西区「松島」
その「松島」に以前あった。
「八千代座」の前で、
氏は見合いをするとあるのだが、
「八千代座」?
確かに昔はこの辺りは、
かなりの繁華街であった事は、
少し前にかなり調べたのだが、
「八千代座」?なんだろう?
と、カチカチとキーボードを叩く、
数分後、ええっー!・・・
と、なった。
芝居小屋なのだが、
この「八千代座」と名乗る前なのだが、
なんと「文楽座」
「松島文楽座」なのだ。
どうも、ライバルが現れ、
移転したようだが、
その辺りの詳しい記述が無い、
その後は明治17年に、
「御霊神社」の境内に移しとあるが、
大正15年に出火・・・
「御霊神社」ごと燃えている・・・
その後もこの「文楽座」
艱難辛苦の道を突き進む事になる。
幾度となく移転を繰り返している。
そう考えると、
数年前、色々とTVで問題視されていた。
「国立文楽劇場」だが、
よくぞ頑張った。
と、しか言いようが無い、
しかし、先人達の、
この「諦めない心」には、
頭が下がる。
私も頑張らねばと・・・