結果、我が町「大正区」と、
「真田丸」の関係は?
「・・・・」
いや、大坂の陣で多くの屍を片付けた男、
「中村勘助」「木津の勘助」が居る。
そしてこの男、お米蔵を破り、
民衆に与え、その罪で、
流罪となる・・・
のだが、それが目と鼻の先の
「姫島」大阪は西淀川区に、
同じ名の地名があるが、それでは無い、
「丸島」「葦島」と言う記述もあるのだが、
これがのちに「勘助島」と呼ばれるが、
元々「勘助」が開発していた島で、
豊臣家からの依頼で「勘助」が、
「軍船係船所」を作ったのもこの「姫島」
大坂の陣の屍を弔い、
木津川の治水に尽力し、
豊臣家、松平家に仕えた「侠客」
なのだが、自らが開発した「姫島」に流罪、
そして400年の時を越え、
大きな町に変貌する。
近隣にはドームがあり、
毎年、沢山の人が訪れる。
「木津の勘助」こと「中村勘助」
が、開発した、「姫島」は、
のちに「勘助島」と呼ばれて、
現在は「大正区」と呼ばれている。
私が生まれ、育ち、
暮らす、私の住む町を作ってくれた。
「木津の勘助」さんに感謝!
「私の町と真田丸」 完
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