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黄昏ウイスキー 

大阪は京セラドーム前の大人の小さなBAR「BARin」の日記 

なんか嫌な感じ・・・2

あぶさん」と「アブサン」と、

野球が頭の中でクルクル回り始めた。

3000本まで、あと10本となった。

イチロー選手、大いに拍手を送る。

 

 

そしてピートなんとかの、

口撃も歓迎した流石だ。イチロー

そんな中「水島新司」氏、原作の「あぶさん

主人公「景浦安武

 

 

通称「あぶさん」なのだが、

この主人公には沢山の方がモデルになっている。

その中の一人を紹介しよう、

1936年大阪タイガースに入団、

 

 

初代四番スラッガー

人員不足の際には投手として活躍、

武器は思いシュート、

ナチュラルシュートだったと言われている。

 

 

数々の記録を残した名選手、

名を「あぶさん」と同じ「景浦」

「景浦 將」(まさる)と言う、

そしてその「景浦」と、名試合を繰り返した。

 

 

笑顔が爽やかな名投手、

西の「景浦」東の「沢村」

そう「沢村栄治

165Kmはあったのではないかと言う剛速球、

 

なんとかローズよ、

私と一緒に少し時間を遡ろうではないか、

時は1934年、夏の大会を終了後、

京都商業を中退した高校生、

 

 

その年の日米野球

11月、静岡県草薙球場

ベイブルースを筆頭に、

米オールスターズを相手に、

 

その青年は、

8回5安打1失点、

ルー・ゲーリックにソロホームランを浴びたが、

完全に押さえ込んでいる。

 

 

正しこれ以外の4試合では、

滅多打ちに合っている。

しかし、おいおい、ちょっと待ってくれ、

青年がいきなり、米オールスターズ?

 

 

その時の精神状態、

緊張、高揚、周囲の期待、

焦り、プライド、

完全なる混乱状態だったはず、

 

 

いや、もう良く投げたとしか言いようが無い、

まだ、10代ですよ、

いや、まあ、当たり前だが私には無理だ、

と、しか言えない・・・

 

 

沢村栄治

1944年、軍隊輸送船に乗船、

屋久島沖西方、東シナ海に於いて、

米海軍、潜水艦「シーデビル」の攻撃で戦死、

 

 

「景浦將」

1945年5月20日、

フィリピン・ルソン島のカラングランで戦死、

が同部隊の生存者の証言から、

飢餓の状況で食料調達に出掛けたまま戻らなかったと、

 

 

しかし、後日、景浦の実家には、

骨壺が送られた来た。

その中に、

石ころ3つになった景浦の姿があったと言う・・・

 

 

そういう事を忘れてはいけない、

しかし、そういう事を忘れる為の、

スポーツ、野球では無いのか?

と、私は思う・・・


伝説のエース沢村栄治投手の映像が初めて見付かりました(映像発見!幻の“日本シリーズ”)NHKのクローズアップ現代(2015年6月11日放送)

 

 

 

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