黄昏ウイスキー 

大阪は京セラドーム前の大人の小さなBAR「BARin」の日記 

感嘆し、感銘を受け・・・

安請け合いはするものだ。
友人に自分の父親の事を調べて欲しいと頼まれ、
ビール3本で了解したが、


かなり大変な目に遭ったが、
逆に良かった。
その事で多くの事を学んだ。
特殊潜航艇 「蛟龍」(こうりゅう)
海中の特攻隊、


驚いたのは、
その事を克明に書かれていた方の記憶力だ。
私も記憶力には自信があったが、
足元にも及ぶまい、


その中に書かれていたが、
汐待ちをし、小さな潜航艇で、
鳴門海峡に突入するなど、
当時のエンジンの性能では至難の技だったと思う、
何たる勇気だ。


私も小さな船を所有していたので、
その実感は少しは解る。
まあ、私の船は大阪港のIKEA鶴浜の前の内海で、
中型のタンカーの引き波で転覆しかけた。
引き合いに出すような話でも無い・・・


海峡を突破し、太平洋が見えた時、
隊員から「ヤッタ」と声が上がったと、
読んでいた私も「よっしゃ!」と、思った。



丁寧に綴られた文章に、
思わずタイムスリップしたような錯覚を覚えた。
しかし一方で悲しい事件も起こっている。
目標艦芙蓉丸、敵機の銃撃を受け9名戦死、
艦載機(P51)に襲われたのだ。
この目標艦芙蓉丸は「蛟龍」の魚雷訓練に使われていた。
水深を下げこの船の下に魚雷を潜らせるのだ。
凄い訓練だ。


又現れたか、
ムスタングP51、
私の母が乗った市電を機銃掃射で襲った機体、


しかしこの方初めての出陣に間に合わなかったようだ。
修理の為に造船所に入っていたのだ。
松林の丘の上から、
一艇、一艇出撃していく船に帽子を振ったと、

この時の思いはどうだったのだろうか、


そして終戦、
行き場の無い思い・・・


が、復員ししばらくすると、
生きていてて良かったとの思いが
じわじわとこみ上げてきたと言う、
全くもってその通りだと私も思う、


今も世界では戦争がある。
ニュースでは殺人、殺人、
恩は仇で返ってくる。
他人の苦労は見て見ぬふり、
自分の利ばかりを人は口にする。
簡単に人は人を裏切り、
そんな世の中でも、
そんな人生でも、人は生きて行かなければ、
そう思わせてくれた。
何故ならそんな愚痴を吐くのなら、
渦巻く鳴門海峡に20数メートルの、
小さな潜航艇で突っ込んでみるかと言われても、
で、出来ない・・・


多くの方々が「小豆島突撃隊」及び「蛟龍」
に関する大量かつ貴重な資料を、
丁寧にネットに上げてくれていた。
中でも、最も参考にさせて頂いた「蛟龍」元艇長
「高橋春雄」様にこの場を借りて、
友人共々感謝申し上げます。



小さな潜航艇で鳴門海峡に突入した。
いや、ご高齢にも関わらず、
多くの真実をこのネットに書き記して頂いた事、
大変感銘を受けました。
そして多くの物を頂いたように思います。
ありがとうございました。


この「高橋春雄」様も終戦を迎えた所は、
「玉野造船所」だったと言う・・・


「特殊潜航艇「蛟竜」(海軍の自分史)」
http://www.harusan1925.net/koryu/index.html


覚悟がどうか、その時がどうか、
それはあるだろう、


しかし、私は父が帰って来てくれなければ、
産まれていない、
多くの方が帰って来てくれなければ、
真実を知るよしもない・・・


死ぬと言う覚悟があった以上、
「蛟龍」は名誉の帰還だったと、
私は思う、
恥ずべきはそういう事実も知らなかった。
私達の方なのだろう・・・


その先人達の思いを胸に、
私は今日も活かされているのだろう、



今夜も誰も来なくても、
店は開けておこう・・・