黄昏ウイスキー 

大阪は京セラドーム前の大人の小さなBAR「BARin」の日記 

寡黙なる龍 3

友人が尋ねて来て、
自分の父親の軍歴証明書を取り寄せたと、
殆ど戦争の事を話さなかったと言う友人の父、



しかしその軍歴証明書には、
「小豆島突撃隊」と書かれていた。
大浜海兵団から配属、
数ヶ月間の軍隊経験だが、
そこで友人の父が何をしていたかが知りたいと、


私は久し振りに活字の大海を泳ぐ事になった。
この「小豆島突撃隊」は、
ネット上にも資料が多い、
戦後も何度かお会いしている集合写真等も見かけた。


しかしそこに「明石」と言う友人の父の名は見つからなかった。
階級も低く、年も若かったので、
仕方ないのだが、
私はこの多くの資料に目を通しているうちに、
何となくなのだが、
友人の父はここには居なかったのでは、



そこで、もう一度詳しく書かれている方の資料に目を通した。
そこに書かれていたあるページの記述で、
私はもう一つの可能性が頭に浮かんだ。
これではないのか?


昭和20年7月1日
「頼みの蛟竜が量産出来ず、当時ここには蛟竜は11隻しかなく」
「蛟龍」の生産が間に合っていなかったようだ。
そこで「小豆島突撃隊」は三つのグループに分けられたようだ。


その一つに、
「玉野造船所に派遣され、蛟竜の艤装に従事する者、約30名」


玉野造船所それは、地下の秘密工場で、今の三井造船のようだが、
こういう記述がある。
三井造船地下軍事工場は、
1945年(昭和20)3月から特殊潜航艇「蛟龍」をつくることになった」と、
その「蛟龍」の艤装の為に、


「小豆島突撃隊」から30名派遣されている。
その中に友人の父は居たのでは無いか?
何故、私がそう思ったのか、
それは友人の父の軍歴証明書の右上にこう書かれていた。



よく解らないが、
高校を卒業した友人の父は「旋盤工」として働いていたのだろうか、
そうであれば、
「玉野造船所」それはもう猫の手も借りたいぐらいだったと思う、
中には熟練した旋盤工も大勢居ただろうが、
若く未熟であろうと機械に少しでも慣れているなら、
その30名に選ばれるのではないだろうか?



と、私は考えた。
そしてそこには「玉野少年造船兵」
大阪や広島の少年が260名が居たと記述がある。


しかしそこはやはり秘密工場、
憲兵が目を光らせていたようだ。
行動にも規制があったと思う、


旋盤工・・・
確かにここには多くの旋盤があったようだ。
「池貝20尺旋盤を始め、若山6尺旋盤、
フライス盤、研削機、ボール盤など」
が格納されていたとある。


これはは全て私の想像で憶測なのだが、
この工場「玉野造船所」でも、
当然「明石」と言う名は見つからなかった。


最後に多くの方がネットに沢山の情報を、
載せて頂いてたお陰で多くの事を知る事が出来ました。
この場を借りて感謝申し上げます。
ありがとうございました。