サントリーさんの主力商品である。
ブレンディドウイスキー「響」
その「響」と言う名が、
太平洋戦争に於いて沈没の危機的状況を、
何度も乗り越え「不沈艦」と呼ばれた。
駆逐艦「響」から名前を頂いたのでは、
駆逐艦「響」の存在は知っていた。
勿論サントリー「響」も、
しかし、この二つを結びつける接点等、
私の若い頃には調べる事は困難だった。
が、今はこのネットがある。
ん?と思い検索する事、数分・・・
一瞬で点と点が線で繋がった。
俄かに浮かび上がった男が居る。
名を「平賀譲」
東京帝大総長を勤めた。
工学博士、
が、工学者であり日本海軍軍人、
工学者で軍人?
まあ、当たり前の事で、
全てが戦う軍人なら、
誰が戦闘機を設計するのだ。
その中で零戦の設計に奔走した「堀越次郎」氏が描かれていたが、
この「平賀譲」氏はその大海版、
「平賀艦艇」
若竹型を設計し、夕張や妙高型等の軽量化は、
各国からも注目され「造船の神様」と賛辞されたと言う、
この中の駆逐艦神風型の中に、初代「響」があり、
太平洋戦争時の「響」は二代目のようだ。
そしてその二代目の「響」をこの方が携わったのか?
その事に正確な記述は些か多忙ゆえに見つけられなかった。
後は戦争マニアの方、軍事マニアの方にお願いしたい、
あくまでウイスキーが専門なので、と、逃げた・・・
では本題にこの「造船の神様」と呼ばれた男、
「平賀譲」氏は、
だったのだと、記して置こう、
故にこのサントリー「響」は
「不沈艦」「不死鳥」と呼ばれた。
駆逐艦「響」なのでは、
そしてこの艦、こうとも言われる。
「戦争を生き抜いた艦」と、では少し手を入れて、
「ウイスキー戦争を生き抜いた酒」
と、なるだろう、
これは「佐治敬三」氏の義理の父に対する尊敬の念における。
ネーミングなのでは?と、思っていたが調べ続けていて、
違うのでは、これは「平賀譲」氏の三女、
「佐治敬三」氏の最初の奥様、
だったと記したのは、こういう事なのだ。
この方、長男を出産直後に早世されている。
悲しい事に21歳と言う若さで・・・
では、諸々の年代が合致するのか、正確性は?
まあ、それはもう良いでは無いか、
そう思い、こう思った時、胸が詰まった。
このサントリーさんの「響」と言う名前は、
若くして早世した。
初めの奥様にして「平賀譲」氏の三女、
その方への「佐治敬三」氏のレクイエムなのでは、
まあ、当然間違っているだろうが、
そうであって欲しいと切に切に、心からそう思った。
何故なら奇しくも、この記述を、
私の次女の二十歳の誕生日の日に見つけた。
今夜の「響」は一味違う事は言うまでも、
無いだろう・・・
ジャパニーズハーモニー「響」
「長年の謎が・・」完
私にお金は入りませんが、
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