関西を震撼させたあの大地震、
「阪神大震災」
その頃私はお酒は一滴も飲まずに働いていた。
娘がまだ小さく、病気がちで、
いつ、何が起こるかも解らなかったからだ。
その夜も遅く、車で自宅に戻った。
車のドアを開けると、
ん?ええっ・・・
星だ。
確か午前3時頃だった。
天空が満天の星空、
未だかつて見た事の無い夜空、
暫く眺めて居た事を覚えている。
その朝早く、激しい揺れに襲われた。
当時、私の住んでいた地域は、
大阪市内では唯一の、
激震地区指定された。
私は震度7を経験した。
次の日、ある女性の事が気になった。
当時、彼女は西宮に居た。
その西宮の状況がTVから流れた。
阪神高速道路が横倒しになった近くだった。
連絡が取れない、
いや、私も大変な状況になった。
マンションの外壁が崩れ、
数日後、内壁にも穴が開き、
青空が見えていた。
時が流れ、少し平常を取り戻した時、
私も又、カウンターに立っていた。
そして彼女が現れた。
相変わらずニコニコしていた。
が、やはり恐怖は隠せない、
ある日、彼女がポツリと言った。
「怖い」と、
彼女はお姉さんと二人で暮らしていたが、
その日、お姉さんが居ないと、
仕方ない送ってあげる事にした。
書くのを躊躇ったのはそういう事だ。
恩を仇では返せない、
しかし女性との事を書くと、
ああだ。こうだと、
詮索する輩が多い、
特にこの田舎の下町では・・・
まあ、もうそんな事もどうでも良い、
しかし彼女を送った後、
私は家に帰れなくなった。
標識も、信号も無い、
高速もどうなっているのやら、
今のようにナビも無い、
ただただ真っ暗で、
気温が異常に低い、確かに怖い・・・
多分、同じ所をグルグル回っていたのだろう、
何とか家に辿り着いた。
それから暫く連絡が無かった。
すると、ある日電気が点かないと言って来た。
???
どうも引越しして、
北新地の近くにマンションを借りたようだ。
が、電気が・・・
仕方ないので見に行った。
ん~、こんな事も出来ないのか、
ただ背が低く、天井の照明器具が、
付けれなかっただけだった。
その後もお化けが出ると、
仕方ないので見に行くと、
確かに人影が廊下の辺りに、
「おい!」と声を掛けたら、
「すいません、すいません」と、
お化けが言った。
ストーカーか痴漢だったようだ。
そんなこんなのお礼に、
カレーを作ってくれたが、
想像を絶する味に硬直した。
数々の思いで・・・
それから私はミナミで自分の店を出した。
その時も、彼女が色んなお客さんを連れて来てくれた。
そして、今の店でも同じように、
それがここ数年、疎遠になっていた。
どうしているかと思った時だった。
彼女が亡くなったと言う連絡があったのは、
聞いた時は、ただそうなんだと思ったが、
時間が経つに連れ、
妙な罪悪感がフツフツと芽生えた。
その日が通夜だと、
しかも店の近くだった。
誰も居ない、
早く閉めた。
ここで行かない訳には、
棺の中で痩せた彼女は眠っていた。
後悔先に立たず、
彼女には私の娘も、
勿論、孫も会わせた事が無い、
私を助けてくれた彼女は、
娘達を助けたも同じなのだが、
そういう事は、
夜の仕事をしている者にしか響かない、
何よりも生ある間に、
心から「ありがとう」と伝えたかった。
いつの日かどんな時も笑顔を忘れない、
素敵な女性を産み、育ててくれた。
美しい海を持つ、
「奄美大島」と言う、
小さな島を尋ねてみたいと、
彼女が星になった。
七夕の夜に、
そう思った・・・
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幾万の悲劇も紙屑になる・・・
Fukuyama Masaharu 福山雅治 - ノスタルジア (2003) live - YouTube