黄昏ウイスキー 

大阪は京セラドーム前の小さなジガーBAR「BARin」の日記 

もう一つの戦争 食の喜び

戦艦「長門」の事を少し書いた。
この少しに問題がある。
以前も説明不足だと指摘されたが、
そんなに長い長文をブログに書いても、
読む方も大変だ。


と、言うか足らない部分は自分で調べて下さい、
今、ほらページをめくればマニアの方の、
ブログがどっさりとありますよ、
まあ、店に来て頂ければ、
何時間でもお相手しますが、


但しお酒を飲んで頂けるのならですが、
では気を取り直して、
戦時中兵隊に人気の船があったと、
書かれた記述を読んだ。


色々と調べた。
なるほど、それならそうだろう、
まあ、ご存知の方も居られるだろうが、
そういう人は通り過ぎて下さい、


名を「間宮」と言う、
補給艦なのだが、
何と船内で食肉加工が出来たのだ。
最新式の巨大な冷蔵庫・冷凍庫設備で
肉、魚、野菜など18,000人の3週間分の食料を貯蔵できたとある。


生きたまま牛馬を積み、
船内で食肉加工、驚くのはまだ早い、
何とパンなどの一般的な食料だけではなく、
アイスクリーム、ラムネ、
最中、饅頭などの嗜好品からこんにゃく、
豆腐、油揚げ、麩


麩、ふまで作れたのか・・・
当たり前だが、
戦地にこんな船が現れたら、
大歓迎される事間違いなし、


他にもクリーニング設備や強力な無線通信設備し、
病院船となる事もあったと、いや床屋もあったようだ。
いやいや、停泊時、士官室を使用して海軍兵学校同窓会の
会場として使用されたこともあると、
同窓会も開いたのか、
何ともマルチな船なのだが、
弱点がある。


遅い・・・


武装設備もささやか、
そして巡航速度が非常に低速、
なので大艦隊に随伴せず単独に近い航行が多かったのだが、
この船が沈むと、兵士の精神的ダメージが大きい、
士気が下がると言う点から
駆逐艦も厳重に護衛を行っていたが、


兵士の憧れレストラン船「間宮」も又、
死線をくぐる事になる。


1943年10月には父島沖でアメリカ潜水艦「セロ」
翌年5月には東シナ海でアメリカ潜水艦「スピアフィッシュ」
の雷撃を受け損傷している。
この時は幸いに大被害ではなかった。
駆逐艦が居るにしても、
ほぼ丸腰の「間宮」に魚雷とは、


しかし米軍もこの船を沈めれは日本軍の士気が下がる事には、
気づいていたはず。
逃げろ「間宮」・・・


しかし1944年12月20日に
サイゴンからマニラ方面へ糧食輸送の
従事中に海南島東方の南シナ海


「間宮」に向かって魚雷を発射、
19時37分に魚雷が6発「間宮」に迫る。
うち4発が命中、
撃ったのはアメリカ潜水艦
「シーライオン」


駆逐艦の反撃を回避し、
次の攻撃の準備に入る。

そして二時間半後、
「間宮」は沈んでなかった。
この時の「間宮」の船内はどうなっていたのだろう、
多くは炊事兵だったと思うのだが、


そして「シーライオン」の二度目の攻撃が始まる。
3発の魚雷を発射、
うち2発が命中する。


なんて事をするのだ「シーライオン」
「間宮」は海中に消える・・・


やはり飲食業に携わる者として、
この「間宮」には思い入れがある。
食の喜びを運ぶ船に、
魚雷とは・・・


それが戦争なのだ・・・


又この船は艦隊の酒保だったのだが、
酒保(しゅほ)とは売店というような意味なのだが、
酒を保つと書くとは知らなかった。


艦長「加瀬三郎 」大佐
多くの乗組員と共に、
12月21日戦死


戦う事が目的では無く、
食の喜びを運ぶと言う「間宮」の、
もう一つの戦争は幕を閉じた・・・


「間宮」日本海軍では正式には給糧艦
名は間宮海峡から取られた。
戦艦とは違い、華やかさ、輝かしい戦歴等は無いが、
補給艦が無ければ戦艦の活躍も無い、


現在の私の仕事も又、補給艦、
ただ、それが出来ているか、
それが心配だ・・・・