黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

酒通信 シングルモルト北海道

竹鶴政孝
日本のウイスキーの父と呼ばれる男、
日本初のウイスキー技師、
数ヶ月に渡り、
このニッカウイスキー創業者の足跡を調べていた。


改めて多く功績や氏の自然への敬意の深さを胸に刻み込んだ。



ウイスキーそれは「神の手」に委ねられる。
春には頼んでもいないのに桜は咲き、
夏には許してはもらえない陽が照り付け、
秋にはせがんではいないのに虫が歌い、
冬にはねだってはいないのに雪が舞う、


春夏秋冬を繰り返し、
繰り返し、ウイスキーは色合いを重ね、
情熱の炎は温もりへと変化して行く、


神の手に揺られながら、
2001年、
ウイスキー専門誌「ウイスキーマガジン」に於いて、
スコットランドの名だたる
シングルモルトウイスキーを、
押さえ込んで、
最高得点を叩き出した。


一本のウイスキーがある。
名を「シングルカスク 余市 10年」
日本初のシングルカスク(単一の樽)ウイスキー、
それを口にした時の衝撃は、
未だに忘れられない、


日本はこんなウイスキーを造れるのか、
いや違う、既に造れていたのだ。
まだまだ多くの日本国民が本物のウイスキーを
飲める国民では無かったのだ。


市場に出しても売れなかったのだ。
そう、飲めなかったのだ。
そして何より大きな壁が、
値段だ。当時の国産ウイスキーとしては、
破格値だった。何故そんなに高いのかも、
今のように溢れる情報も無く、
理解出来なかったのだろう、
しかし本物と言う扉を果敢に開きに行く、
竹鶴ニッカウイスキー、






植村直己氏がマッキンリー山で消息不明になった年、
名馬、シンボリルドルフ号が日本競馬史上4頭目の三冠馬
巷では安全地帯「ワインレッドの心」の流れる。
1984年、昭和59年、


日本初のウイスキーは静かに売られていた。
まるで人目をはばかる様に、
そして人知れず姿を消した。


姿を消してから、
銀座のバーテンダー達が、
探し回ったとされる逸品、
日本で初めてシングルモルトウイスキーと表記された逸品、
画像検索でも殆どその姿を現さない、
幻のウイスキー



「ニッカ シングルモルト 北海道 12年」
神の手に委ねられた本物のウイスキー
これは「ピュアモルト 北海道」でも無く、
勿論「シングルモルト 余市」でも無い、


紛れも無く、
シングルモルト 北海道」と言う名の、
ウイスキーなのだ。



竹鶴政孝の渾身の一本、

これこそが、幻のニッカウイスキーでは無いのだろうか?