黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

幸徳秋水の墓が大阪に・・・  2

迷惑な話だが「竹林寺」さんを尋ね、
お話しを聞けたが、
詳しい事は解らなかった。


幸徳秋水」の墓、
またもや、無差別検索が始まった。
坂本清馬「残夢 大逆事件を生き抜いた男」(鎌田慧

管野スガ、森近運平、
宮下太吉、新村忠雄、古河力作、
奥宮健之、大石誠之助、成石平四郎、
松尾卯一太、新美卯一郎、内山愚童

堺利彦内村鑑三 木下尚江
滝川政次郎 石川三四郎
徳富蘆花、兄の徳富蘇峰

石川啄木社会主義を支えた岩崎皮也、
大阪なら中江兆民平民社
そして幸徳事件大阪グループも調べ、

西区にあった村上旅館 村上シゲに至るまで、
もう書き切れない程調べたが、

何故「幸徳秋水」の墓が大阪にあったのか、
誰が建てたのか一向に解らなかった。


ただこの「竹林寺
朝鮮通信使の墓がある事でも有名なのだが、

近くの「松島公園」にも碑がある。


そしてその朝鮮通信使 金漢重(キムハンジュン)のお墓、

その左に並ぶ墓を見つけた。


この方こういう方
「勝瀬馬州」
儒学者。寛政11年(1799)阿波生まれ。
幼にして江戸に遊学、古賀精里に入門し、
秀才のひとりに数えられた。大坂に移り開塾、
忠信を重んじ華美を嫌い、孝悌を先んじて詞章を後にする学風で、
多くの門人を得る。五六歳没。
墓は竹林寺(西区本田一丁目)
しかし時代が合わない・・・


で、この方を調べると
「森琴石」と言う画家が出てきて、
この方も凄い方で、
確かに大阪なのだが、


関係なさそう・・・


しかしこういう記述も見つけた。
大阪下寺町に先祖の墓を探し、
妻師岡千代子と参ったと、
親戚の岡崎てるさんが語っている。
下寺町なら近い、
この師岡千代子なのだが、
幕末の文久3年2月22日(1863年4月9日)に、
京都等持院にあった室町幕府初代将軍・足利尊氏
2代・義詮、3代・義満の
木像の首と位牌が持ち出され、
賀茂川の河原に晒された事件である。
「足利三代木像梟首事件」の首謀者、
師岡正胤の娘でもある。
え、これ、「八重の桜」・・・
と、すぐに道を外れる。


下寺町のお寺、どこだろうか、
多分、浄土宗だと思うのだが、
いや下寺町は浄土宗だらけ・・・
高知の墓「正福寺」も西区の「竹林寺」も浄土宗のお寺、
奇しくも先日書いた「和光寺」も浄土宗・・・


で、結論なのだが、
何故、幸徳秋水のお墓が大阪は西区本田の
竹林寺」にあったか、
それは・・・






全く解らない・・・


自分自身で健闘を称え、
何も無かった事にして、
又、次の歴史を模索しよう・・

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