昨日高級グラス「バカラ」が来年で250年を迎えると、
書いたが来年が2014年、それから250年を引くと、
1764年、歴史はリンクする。
以前から気になっていた寺院がある。
大阪は西区の松島球場の前、
立派な寺院がある。
名を「竹林寺」
このお寺は土佐稲荷神社からも近い、
バカラの創業年1764年、
それとこのお寺、
見事に符号が一致した。
その名は「朝鮮通信使」
「朝鮮通信使」
室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮より
日本へ派遣された外交使節団であるのだが、
その使節団の労を労う為にこの「竹林寺」宴を設けた等の記述がある。
その十一回目、
その年が1764年、
この時、一つの悲しい物語がある。
この使節団450人とも500人とも言われるが、
100人ほどが大阪に残り、
後は江戸に向かう、
その際船を尻無川の泊めてとあるが、
この川は当店の目の前を流れている。
そしてこの寺の中に、
一つの墓石が、
この方、金漢重(キムハンジュン)の墓なのだが、
遺体は本国に運ばれているので、
遺品等が納められているようだが、
1764年、この方が病に倒れ、
この「竹林寺」で治療を受ける。
彼は母国に残した自分の子供達の事を、
気にかけていたので、
それを気の毒に思った医師が同じ年頃の日本の子供を、
看病に付けるが命の火は消える。
この「朝鮮通信使」は最近映画になっている。
が、色々と調べると、
この使節団、大変な人達だったようで、
このお寺にもう一人供養された方が居るのだが、
その名を崔天淙(チェチョンジョン)
では明日話そう・・・・
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