黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

幕末の倭魂(やまとだましい) 「堺事件」  7

壮絶な最後を遂げた「箕浦猪之吉」
続く六番隊隊長「西村佐平次」
彼はおとなしく、静かな男だったと言う、
そして何より美男子だったと、
箕浦が動なら、西村は静、
そして静かに事は始まり、


こう書かれている。
西村の首は三間ばかり前にぞ飛びにける。


「風にちる露となる身ハいとわぬと
こころにかかる国の行くすゑ」
西村佐平次 享年二十四歳



続く「池上弥三吉」
「皇国のために 我が身を捨ててこそ 
しげるむぐらの 道ひらきすれ」
池上弥三吉 享年三十八歳


この間、フランス兵は青ざめ、
嘔吐、叫び、手足の置き所にも困ったとあるが、
それをより一層のものにしたのが、
四番手
「大石甚吉」である。
彼は大男だった。


そして見事なまでの十文字切腹を見せるのだが、
その時の光景は想像も出来ない壮絶さを見せる。
介錯人落合が仕損じ、
一太刀浅い、二太刀なお浅い、三太刀・・・
崩れない大石、四太刀・・・

次々太刀を食らうが微動だにせず、

一切姿勢を崩さなかった。
七太刀目、首が落ちたが、
何と大石はそのままの姿勢だったと・・・


「我もまた神の御国の種なれハ
猶いさきよけふのおもひ出」
大石甚吉 享年三十五歳


司馬氏の本にはこういう事が書かれている。
切腹の時大石が言う「わしの姿勢が崩れねば魂魄(こんぱく)ありと思われよ。
わしはかねてから人に魂魄があるかどうかを信じかねていた。
いまこの機会に試してみたい」


魂魄
中国の道教では魂と魄(はく)という
二つの異なる存在があると考えられていた。
魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指した。
合わせて魂魄(こんぱく)とも言う


何故、こんな壮絶な事になったか、
それは介錯人が専門の斬首職人では無く、
知り合いに頼んだようだが、
ここは私の推測なのだが、やはり皆下級武士、
武術に長けてはいなかっただろうし、
まして刀が名刀と呼ばれるような物も持っていなかったのだろう、
刃物の町堺で皮肉な話だ・・・
この落合氏をはじめ介錯をした者達の心境も、
計り知れないものがある。


この方達は一体どんな鍛錬を積まれたのか、
どうしたらこんな事が出来るのか、
全く理解出来ない、
そして杉本、勝賀瀬、山本、森本、北城、稲田、柳瀬の順序に切腹した。
これは省いているのでは無く、
悲しいが詳しい文献が無いようだ。


そして続く十二番目
「橋詰愛平」の時に異変が起こる。


フランス兵が退席、居なくなり、
切腹は中止される。
これは恐れをなして逃げたともあるが、
土佐藩士達の切腹が見事だったので止めたとも、
辺りが暗くなり、帰りの襲撃を恐れたともある。
又十一人に対して二十人では報復が酷すぎると、
外国から批判があり、事前に十一人で止める事になっていたとも、


が、私自身はやはり恐れたと思う、
自分で腹を裂き臓物を引き出すなど、
当時の日本人以外、理解出来ない、
又、それを淡々と行う、
日本人に敬意を払ったのだと、
いや、そう思わせて欲しい、
そしてその気迫が残りの者も命を救ったと信じたい、


逆に悲劇なのはこの橋詰だった。
戻ると八番隊士から、
「臆したか!」
切腹の作法を知らんのか!」と、
罵声を浴びせられ、
橋詰の何らかの粗相で切腹が中止されたと思ったのだ。
それを払拭する為、橋詰は次の日舌を噛み自殺を図るが、
手当てを受け一命は取り留める。
のちにどうしても同じ所に埋葬して欲しいと、
一番左の小さな墓石で橋詰は眠る。


妙国寺で埋葬は出来ず、
すぐ近くの宝珠院で眠る
「土佐十一烈士」
司馬氏の本では、人々が次々と訪れ、
出店は出るはの大騒ぎになり、
人は亡くなった十一人を
「ご残念様」と呼び、
助かった八名を「ご命運様」と呼び、
死体を入れる為に用意された甕、
その余った甕を並べていたら、
人々が次々中に入り、
ご利益にあやかろうとしたらしい、


宝珠院は今は幼稚園となり、

園児たちの声の響く中、
ひっそりと佇んでいる。


その後助かった者達がどうなったか、
興味のある方はどうぞ本を読んであげて下さい、
参考文献
森鴎外 堺事件」
司馬遼太郎 俄―浪華遊侠伝」
大岡昇平 堺港攘夷始末」

「佐橋甚五郎と堺事件の提示するもの 井村紹快」(椙山女学園大学
森鴎外 堺事件その歴史性・文学性をめぐって 岡林清水」(高知大学
明治維新 志士 像の形成と歴史意識 高田祐介」(佛教大学)

この事件を書かれていた沢山のブログにも感謝いたします。
最後に最初に登場した「与謝野晶子」の詩を紹介しよう、


故郷

堺(さかい)の街の妙国寺、
その門前の庖丁屋(はうちょうや)の
浅葱(あさぎ)納簾(のれん)の間(あいだ)から
光る刄物(はもの)のかなしさか。
御寺(おてら)の庭の塀の内(うち)、
鳥の尾のよにやはらかな
青い芽をふく蘇鉄(そてつ)をば
立つて見上げたかなしさか。
御堂(おどう)の前の十(とお)の墓、
仏蘭西船(フランスぶね)に斬(き)り入(い)つた
重い科(とが)ゆゑ死んだ人、
その思出(おもひで)のかなしさか。
いいえ、それではありませぬ。
生れ故郷に来(き)は来(き)たが、
親の無い身は巡礼の
さびしい気持になりました。


そして「与謝野晶子」は
日露戦争の時に、
「君死にたもうことなかれ」
を、書いている。


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