黄昏ウイスキー 

大阪は京セラドーム前の小さなジガーBAR「BARin」の日記 

酒通信 ミリオンダラー 2

皇居前に突如現れた「東京會舘
私も実は十数年前まで、
この建物がよく解っていなかった。
大阪人の私にはピンと来なかったのだ。
正体は当時の上流階級の為の社交場、
現在も営業している。
東京會舘
http://www.kaikan.co.jp/
現在90周年、


その中の一つにBARがあったのだが、
当時のBARの頂点だったと思う、
このBARからは、数々の伝説のバーテンダーが出ている。
有名なのは「今井清」氏
「今井マティーニ
「千両眼」を使う、達人だ。
これは、又詳しく書きます。



が、「浜田」氏がどうなったか、
なのだが、「関東大震災」で、
東京會舘」壊滅的に・・・・
しかし、流石は名手「浜田」
当時のカフェ文化をリードしていた。


銀座4丁目の「カフェーライオン」から、
三顧の礼で招かれる。
いや、凄い人気だったようだ。
このお店では無く、
「浜田」というバーテンダーが、
そこで「浜田」は横浜グランドホテル仕込みの
「ミリオンダラー」を作る。


飛ぶように売れたようだが、
この時代「関東大震災」があったにせよ、
このカクテルは卵白が必要だ。
かなりの量の卵を揃えなければ、
と、考えるとこの時代の日本は、かなり豊かだったと、
言えるだろう、


又、この「カフェーライオン」の常連に作家の
菊池寛」が居たのだが、彼が
「酒ならばコクテール、コクテールならミリオンダラー、
雑誌ならば、わが文藝春秋
と言うキャッチコピーを読売新聞に掲載、
彼は当時、文藝春秋の当主でもあった。


このコクテールとはカクテルなのだが、
ミリオンダラーは名手「浜田」への
オマージュとされている。


実に華やかな時代だったのだろう、
そして、西洋の文化BARが、
日本に根付き出した。
それはバーテンダーの腕が物を言うBAR、
そんなBARが銀座に生まれだした。


しかし、戦争が全てを駄目にし、衰退させた。
この戦時下の「浜田」氏の様子は解らないのだが、
戦後まもなく、有楽町の「日劇」の地下で、
細々だが、BARを始める。
かなり苦労されたと思う、
その時、又「東京會舘」からの誘いが、
そして昭和23年まで努め、
その後日本バーテンダー協会会長、
東京バーテンダースクール初代校長
と、業界の重鎮として君臨する。



こういうエピソードを調べていると、
この「浜田」という名バーテンダーこそが、
「Mrミリオンダラー」では無いのか、
そう想い出した。カクテルもそうだが、
実益も凄かっただろう、正に100万ドルの男、


そして何故私がこんなに詳しいのか?
それは少し前に、
枝川公一」という方の
「バーのある人生」と言う一冊の本を読んだ。
そこに詳しく書かれていた。
この本は面白いですよ、
是非、お薦めです。


これで「ミリオンダラー」が、
バーテンダーにとってどれだけ大事なカクテルか、
お解り戴けましたか?


では、又、調べ物を・・・・

バーのある人生 (中公新書)

バーのある人生 (中公新書)