私の父は、町の小さな電気屋を営んでいた。
それで、ホンダのCB500(?)の後ろに幼い私を乗せ、
いつもここ日本橋に、仕入れに来る。
私が生まれる前は、
今では、考えられないが、父はまず、設計図を買う、
本のようになっていた。
それを元に部品を集め、
TVやステレオ等を、
なんと、一から組み立てる。
木で枠も作り、
驚く程、手先が器用だった。
それを売っていたのだ。
いや、売れていた事が、凄い・・・
父が問屋さんで話をしている時、
私はこの界隈をうろついていた。
ここにはよく来た。
「五階百貨店」
大阪人でもあまり知らないだろう、
しかし驚いた。暫らく来ない間に、
隣に大きなマンションが出来ていた。
お店がかなり無くなっていた・・・
えっ平屋なのに何故「五階」??
よく聞いてくれました。
これ、火事で焼けたのでと聞いていたのだが、
どうも違うようだ。
1988(明治21)年にこの辺りに建てられた。
当時では珍しい、
八角形の木造5層楼閣、
「眺望閣」と言うのだが、その建物が有名になり、
それでこの辺りは「五階」と言われるようになったらしい、
所謂名称なのだ。
大阪ならではのユニークな広告のようなものでは無いかと、
言う方も居られる。
又、百貨店では無いので、
「誤解百貨店」と書かれていた方も居た。
中は「バッタ物」(リサイクル品)
バッタとは、あっちから、こっちと、
流れて来た商品の事で、この辺り方言のようなものだ。
中は所狭しと、商品が並んでいる。
機械工具や、電気商品、
小さな店が、ひしめき合っている。
倉庫なのか、店なのか、
どこまでが、その店で、どこから違う店なのか、
よく解らない、アンティークな商品や、
懐かしい、10円のゲームも置いてあった。
ここで子供の時、お客のおじさんがどうやって値切るのかを、
いつも見ていた。
漫才のような会話だった。
「これ、なんぼにしてくれんの?」
「3000円でどないですか」
「2000円にしてや〜」
「そらあかん、今晩首つらなあかんわ〜」
1000円で首を釣るのか・・・
こんな感じだった。
しかし、お店の皆さん、高齢になられていた。
その中を抜けると、
日本橋商店街と言うのがあるのだが、
呉服屋さん等もある。そこに、
面白い店が出来ていた。
これ!
右の壁も、左の壁も
「インスタントラーメン」だらけ、
中にも一杯あった。
一つ買ってみた。
そして折角だ。
あそこに行ってみよう、
そこは一階から五階まで、
プラモデルだらけ、
沢山の写メを撮った。
V−MAXのバイク、
西部警察ガルウィングのフェアレディーZ
戦艦三笠と秋山真之のフィギア
特大「宇宙戦艦ヤマト」等、
しかし、帰り際
「店内撮影禁止」の文字が見えた。
ええーっ、残念、しかしマナーはナマーだ。
まあ、いいかはいけない、
しかし、電車の模型のコーナーで、
店員さんと一緒にある電車を探した。
あった!これはどうしてもお友達に見せたいのでと、
お願いしたら「いいですよ」と、
言ってくれたので、これ!
早速帰ってインスタントラーメンを作った。
辛いが、めちゃくちゃ美味しかった。
熊本のラーメン「赤辛」¥160−
次はどこに行こうかな・・・・