黄昏ウイスキー 

大阪は京セラドーム前の小さなジガーBAR「BARin」の日記 

僕の好きな先生

最近、☆の意味を知った。
たかが☆、されど☆だと言う事も、
よく解った。


そのおかげで、多くの方が尋ねてくれる。
嬉しい事だ。
そして、私の拙い文章を褒めてくれる方も、ちらほら・・・
それを、どうしても聞いて戴きたい人がいる。
これは昨年、私が書いた記事だ。
少し削除し、少し加筆してみた。
良かったら読んで戴きたい、



「私自身は、文才があるなどとは思ってはいない、
但し、話しは仕事柄、多少は面白く出来る。
ただそれを文章に起こしているだけなのだ。


だから少しも高尚な文章では無いのだが、
読みにくくもないはずだ。
これは中学1年生の時の国語の先生に
感謝するべきなのだ。


あまり人には話してないのだが、、、、
当時の私は、作文に句読点を打ちまくっていた。
それを先生は「てんてん虫」と言った
綺麗な文章、それは極力句読点を減らすことだと、、、
その先生は女の先生だった。


いつもからかっていたが、尊敬してたし、好きだった、、、
彼女からは詩を沢山教えてもらった。
中原中也」は驚いた。なんじゃこりゃ〜
これのどこが文学なのか?
読んだ、、、解らん、、、
それから「高村光太郎」や
萩原朔太郎」など
読み出した。解らない事が知りたかったのだ。


暗記するぐらい読んでいた。
ある日先生に言われた。
解らないものを解ろうとするのではなく、
そのままを受け止めるのも大事な事だと、
ん〜その時はイマイチ解らなかった。



中学3年生のある日、先生は死んだ、、、
新婚で幸せそうで、いつも笑ってた
子供が出来、出産の時に亡くなった、、、
子供は確か無事だった、、、


それから医者が嫌いになった。
今でも好きではない、、、
先生は殺されたと思っている。


何日か過ぎ、先生のご両親が全校生徒に
一冊のノートをくれた
無性に虚しかった、、、、
薄っぺらいノートになって帰って来たのだ。


表紙をぐちゃぐちゃに落書きをした。
腹が立ったのだ、、、、
悲しくて何回も泣いた事に
腹が立ったのだ、、、
そしてゴミ箱に投げ捨てた。
そのノートを泣きながら又ゴミ箱から
救い出した、、、、


15歳の私には受け止めれなかったのだ。
告別式の日、先生のクラスの生徒だけ出席し、
「22歳の別れ」を歌ったらしい、
その日から、その曲を聴かなくなったし、歌わなくなった。


そのノートに詩を書いてみた。
こんな馬鹿みたいな文章は、自分でも書けると思った。
ページは全部書いたが、お粗末過ぎて笑った、、、
難しい、、、、
詩のような言葉の羅列は、当時、いや今でも私には不可能なのだ。
そのノートだが30年以上経った今でも大切に持っている。


確かに私の文章はおかしいだろうが、
それを馬鹿にされると先生を馬鹿にされたような気になる。
だが、この言葉も覚えている。
「あなたはお話が上手いから、文章も上手く書ける
だけど調子に乗ると、その口でいつか失敗しますよ」と


正にその通りだ、、、それは当たっている、、、予言者だ、、、
人に話すような事では無いのだが、
私の文章への思い入れのお話だ。
人に歴史ありなのだ。
軽々しく人を馬鹿にするものでは無いという事を、


それは、15の夜だった・・・」



この記憶を呼び起こしたのが、この曲だ。
手紙〜拝啓15の君へ〜これは、胸に刺さった・・・