黄昏ウイスキー  TWILIGHT WHISKY

大阪は京セラドーム前の小さな本格的BAR「BARin」の日記 

剣道

昨日、娘達の事を記事に書いた。

すると、こんなコメントが来た。


「いつもコメントありがとうございます
私の息子は大学4年
5才の物心つかないころから、私が剣道をしている関係
無理やり剣道を習わせ、友達と遊ぶことも許さず
剣道を優先させてきました
そして大学でも剣道し、この春卒業します
先月、正式に大学の剣道部を引退した夜・・
息子に私の思いだけを押し付け申し訳なかった・・許してほしい
と、謝り、もう剣道はしなくていい・・といった
息子は・・いや・・いや、これからも続ける・・
親子三代の剣士を目指すといった・・それを聞いた私は涙が・・
その息子は来年春に警察官になります
また心配の種が増えますけど、これだけは言えます
親をやっていて・・・よかった・・」



と、いうコメントだった。

胸が熱くなった。

無理やり剣道、、、、

思わず、涙が出た、、、

天気の悪い日に、少し暗い話になるが、

あれは、小学校5年生、

当時流行っていたアニメの影響で、

私は空手を習いたいと、

母はそれを許さなかった。



私には、18歳も年が離れた兄がいた。

兄は、小さな時から、

柔道をしていた。その関係で、

兄は、背が低く、がっちりした体型だった。

その兄の体型を、母は何故か、忌み嫌っていた。

では、柔道をと、私が言うと、

母は烈火のごとく怒り出した。

数日後、母が、新聞のチラシを見ていた。

おもむろに立ち上がり、

私の手を引き、表に連れ出した。

意味が解らない、、、

終いには、私の襟を掴み、私は引きづられ、

2Kmほど歩いた。



着いた先は、当時出来たばかりの体育館だった。

そこに、剣道の教室が、、、

有無を言わさず、私は剣道を、

選択肢は無かった。

嫌だった。母を恨んだ。

完全な親のエゴだと、

これが、私と剣道の出会いだった。


しかし、そんなに嫌な剣道だったのに、

中学に入ると、剣道部に入った。

何故かは、大人になってから、解った。

少し書きづらく、ブログで言う話では無いのだが、

私が中学に入ると同時ぐらいに、

18歳上の兄が、何の前触れも無く、

蒸発した、、、

多額の借金を残し、、



父も母も、毎日うな垂れていた。

会話も無く、母の体が、小さく見えた。

そこで、少しでも母を喜ばせようと、

嫌な剣道部へと、子供心に親に気を使ったんだろう、

「おかん、剣道部入るわ〜」

「そうか、頑張りや〜」

確かに一時的に母の顔が、

明るくなったような気がした。



そんな父と母とも、ある事が理由で、

疎遠になっている、、、

父は、大正11年生まれ満州からの帰還兵だ。

母は、昭和2年、竹槍でB−29と闘ったと、、


どうしているだろうか、、、、

今では、剣道を習わせてくれた母に感謝している。

人が羨むぐらい、身長も高くなった。

おかん、ありがとう!

お聞き苦しい話を長々と、失礼致しました。

500マイル
http://www.youtube.com/watch?v=UvuRcRUnKRU