黄昏ウイスキー 

大阪は京セラドーム前の大人の小さなBAR「BARin」の日記 

又、訃報が届いた、、、

大阪では有名な情報誌、「ミーツ」を担当されてた
溝口久美さんがお亡くなりになったとの、
手紙が、Lマガジン社より届いた。驚きを隠せない、
不思議な事に、連絡を受けた時、
丁度、「そうだ久しぶりに連絡してみよう」
と思っていたら、金髪から、ハガキが届いていると
連絡があった。いや〜驚いた。もうかなり長い、
お付き合いになるのだが、尻無川沿いのプライベートルーム
の取材の時、


その後、当店に来られた。
第一声が、「な、何これ〜!」と驚かれたようだ。
まさか、こんな場所のしかも場末に、
ジングルモルトウィスキーが、
こんなに並んでるとは、思わなかったらしい、
そこで、又、別枠で取材をしてもらう事になった。
それが、これだ!

かなり驚いた事が、文面でも解る。
そしてそのおかげで、次々と雑誌の取材を受けるようになった。
そして何度か、「大正区特集」を企画され、
何度か、コーディネイトをお手伝いした。


何軒か紹介したが、私からの紹介というのは、
黙っていて欲しい、というのが私からの条件だった。
変に気を使われるのが、嫌だったのだ。
「やっぱり大正区は、坂本さんに聞くのが、一番やな〜」
そうでもないのだが、その時の笑顔が今、頭に浮かび、
パソコンの文字が、滲み、かすむ、、、
くそ〜打ちにくいので、申し訳ないが少し休憩させて頂きます。


(休憩中)


そして、別の部署に変わられて、
担当者は変わったが、何かと連絡はあった。
その時「下町特集」で大正区の特集があった。


若い女性の記者が来たのだが、
又、私がやってしまった。
その担当者は「下町」なので、
と言う事で、笑えと言うのだが、嫌だと答えた。
「下町」=「笑顔」は解かるのだが、
「BAR」=「笑顔」にはならないと思ったからだ。
それに私はそんなに上手く笑えない、


そこで取材を拒否した。
今思えば、大人げない行為だが、
ヘラヘラ笑う、BARのマスターは「キモイ」と思ったのだ。
次の日、溝口久美さんより、電話があり、話し合った。
かなり激しく口論した覚えがある。
しかし彼女にも義理がある。私の店を広く紹介してくれたのも彼女だ。
そして大正区を何度も紹介して、戴いたのは確かだ。


そして結果、もう一度、取材を再開した。
このあたりが、私が高飛車と言われる原因だろうが、
自分の考えを、簡単に曲げたくなかったのも確かだ。
1年程前も、取材をお願いしたら、快く承諾して戴いた。
色んな事を思い出すのだが、本当に残念だ、、、
頭の回転も速く、人当たりが良く、肝の据わった所もあった。
私よりは、随分若かったはず、


一度、一人で飲みに来られた時、「グレンリベット12年」を
お出しし、「美味しい」と言われた記憶がある。
その「グレンリベット12年」を
編集室にお送りした。仏前に供えて頂ければ、幸いだ。
しかし彼女のような、優秀な方が亡くなり、私のような下らない
男は生きている。神は私に何をしろと言うのだ。
ん〜何とも複雑な思いなのだが、
御親族の心中をお察し申し上げると共に、
心から御冥福をお祈りいたします。
さようなら、、、本当にお疲れさまでした。

http://www.youtube.com/watch?v=zb35TtsQncU